
「ここは、鍵のない鳥籠のようなものかもしれません」
彼女はひとりごとのように、そう呟いた。
「ここを、小説にしてほしいんです」
そう言われたとき、
永衣は少しだけ考えて、すぐに頷いた。
断る理由はなかったし、
なにより、その“空気”に興味を持ってしまったからだ。
玄関をくぐったとき、まず感じたのは静けさだった。
リビングには、数人の女性がいた。
誰もが思い思いの場所に座っていて、けれど妙に整っている。
距離が、均一なのだ。
近すぎず、遠すぎず。
まるで、目に見えない線が引かれているみたいに。
「はじめまして」
そう声をかけると、いくつかの視線がゆっくりと向いた。
興味とも、警戒ともつかない、曖昧な温度。
けれどすぐに、その視線は外れる。
まるで、見続けることが何かを壊してしまうみたいに。
「みなさん、ここに住んでいるんですか」
誰に向けたともなくそう尋ねると、
一人が、ほんの少しだけ笑った。
「住んでいる、というより……好きな時に来て、好きなだけいるだけなんです」
その言い方が妙に引っかかった。
いるだけ。
それなのに、誰も帰ろうとする気配がない。
窓の外は、夕方の色に変わりはじめていた。
帰る理由なんて、いくらでもある時間だ。
それでも、誰も立ち上がらない。
「出ていこうと思えば、出ていけますよ」
別の女性が、さらりと言った。
「誰も止めませんし」
そう言いながら、
その人はソファの背に軽く指を這わせている。
無意識なのか、それとも癖なのか。
触れているのは、何でもないはずの場所なのに、どこか落ち着かない。
「……じゃあ、どうして」
そこまで言いかけて、うたたねは言葉を止めた。
聞かなくても、わかる気がしたからだ。
理由なんて、きっと一つじゃない。
ここには、説明できないものが多すぎる。
視線が交わって、逸れて。
ほんの少しの間だけ、誰かの隣に寄る気配がして、また離れる。
何も起きていないはずなのに、
何かが常に起きているような感覚。
「書けそうですか」
最初に依頼をしてきた女性が、静かに尋ねた。
永衣は、曖昧な微笑を浮かべた。
「ええ。たぶん」
そう答えながら、
まだ何も知らないことを、はっきりと自覚していた。
ここでは、たぶん。
知ること自体が、少しずつ進んでいくのだ。
誰が、どんな理由でここにいるのか。
なぜ、出ていかないのか。
そして——
この空気が、どこへ向かっていくのか。
まだ、何も起きていない。
けれど、
何かが始まっていることだけは、確かだった。